人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Charm and Essence of getting to know the unknown


by Tomoko_Ota

個人的な応援歌になるねんけど。


複数のお仕事でとってもお世話になった方で、人間的にも女性としても
すごく尊敬している女性の方からメールがきたの。

最近、大きな恋を失ったみたい。

文面から悲しみとか痛みが刻々と伝わってきたし
そこにはある種のやりきれなさや喪失感もあり、
読んでいてもいたたまれなかった。

あんなに素敵な笑顔をする人の顔がいま曇っていて
それでも前を向こうとしているのって
心をうたれるし、
早く元気になって欲しいって強く強く思う。

そして、今までを振り返って、
名目やカタチや表れ方をかえても、しんどい時にどれだけ
自分が成長したか、って、
これはほんと。

だから、そのしんどさを決して否定しないで
そのまま受け止めてあげて、心地よい歩幅で次に進めればいいし

進めないときがあってもいいと思うし、
進めないことは実は進んでいることなのかもしれないし、

ただ、彼女を大切に思っている人がここにいることは知ってほしい、
と、それは強く思ってる。

彼女のメールを何度も読み返して返事した。
そして、ふと、そんなに昔でない自分が乗り越えてつづった日記エッセイを思い出し
見直した。

その、本当に魅力的で艶のかたまりのような彼女へ、
実際は、
直接に言葉だけでは伝えられないことの方が多いけど

でもそれはもどかしくはなくて、
言葉で定義する必要のないことが、ある、この世には。

だから、元気になって欲しいと思う、その1%でも伝わればいいし、
ただその日記には、
彼女に聞かれたことの、私の意見みたくものがあるから、
その時の日記を応援歌として。。。


なんか、めっちゃ野暮な応援の仕方やけどな。。。。


---------------------------------


-3月23日 日曜日


彼と私が恋人として存在した、最後の日になった。

いや、
私たちは一度だって「恋人」という名前をもった関係など持たなかったのかもしれない。


私は、彼が好きでしょうがなかったけど。

そして、彼は、最後まで
私に気持ちが働くのを避けきれななかったが。


私は、彼の存在が引き起こす恋愛と尊敬がいり込んだ深い気持ちの
行き場を
最後まで見つけられなかった。

彼は、私のことを特別な女性としてポジションさせることは認めながら
恋人という存在を持つことに
最後まで積極的にはなれずにいた。



愛する二人がいて、
何かを決めなければならないという。

愛する二人が存在するとして
彼らの気持ち以上に大切なことがあるのだろうか。

愛する二人が存在するとして、
その先に続く求めているかたちが違うこと、

そのカタチをどう取りたいかの認識差が大きすぎることで
確執をうんだり、
相手とのことで一番大切なことに感謝でいなくなっているとしたら、

いったい何が狂っているのだろうか?



その愛する二人は、ここに存在した。

好きな二人が一緒にいる、その一番大切だといわれる事実だけで
その二人が幸せじゃないとしたら
一体なにが彼らを幸せにするのだろうか。


ただ、彼女は、その彼を愛する気持ちを飲み込んでしまうくらい
息づまっていた、何かに。


愛し合う気持ちに
感謝できなくなってしまうほど、
彼女は彼に求めた。
何か、を。


その「何か」は、他の誰かにとっては
きっと取るに足らないものだと
言われるかもしれないが

そのときの彼女には無視できない自然な欲求だった。


彼女は、
愛し合う気持ちが確執をうむ、
そんな二人として存在していることは本末転倒だと知っていた。
確信犯だった。


相手の大きいところでそこが好きだったところなはずなのに
自分の相手としてみるから
自分の世界へどっかひきずりこもうとしている、
相手の積極的な許可なしに。

そういうのが自分の細胞のどこかで抵抗をうんでたのもあり
そんな自分にうんざりしていた部分も否めず。


いったい私は何を話しているのかというと

お互い愛する人をどういう名前がついた関係で持ちたいか、
という点で
Willyと私は、合意に達せなかった、ということ。


ネーミングなんてなかみと関係ない、本質的には。


けど、名前があって、定義があって
そのものが存在する、という逆本質もあったり。


それは、「結婚」という社会概念が邪魔したといわれれば
その通り。それは小さいことかもしれないし、
大きいことにもなることだった。

そのときの彼女には小さいことではなかった。

コミットメントのとりかたがそれぞれ違うのだから
どちらが正しくて、という類の問題でもないし

家族をつくる、ということへの受け取りかたに
どちらが普通で、どちらが異常がなんて言えない。


物事は、名前を持って、その存在を確定させるし
それによって確かなカタチをとることがある、

そんな思いが彼女には流れていたから。

それは、よい、悪いで判断しきる類のことではなく
それが彼女だった。

それが私だった。


その夜、私たちは
恋人として存在しない道を選ぶ二人として夜を終えた。


彼の手は私の手を握っていたし
私は彼に抱きしめてほしいと、どこかで思っていたかもしれない。

けれど、奥の奥で
この別れを受け止めることが必要な気がした。

私が、どんなけ相手を好きだからとか、
こんなにも好きどおしなのに、とか

どこまで相手が私を好きだからとか、
彼だってこんなにも私を求めているのに。。。
とか。

そんな感情はあまり意味がないのかと思うくらい
私たちは理性と共に進む必要がある二人のようだった。


過去からくる思い込みが邪魔をしたのか。

それを認識しながらも、
何かを越えられなかったのか。

それとも、それよりももっと大きな意味のあるもののために
何かを越えたのか。


それは時間がものをいうのだろう。


その夜、私は悲しすぎた。

けど、終わりは終わりじゃないことを、私たちは経験上知っているから
悲しい気持ちになるほうが
おかしいのかもしれない。

毎日は続いていくから。


時間を味方にして進んでいく強さを
昔よりは、もっているんだろうと思う。


理性が感情を支配しているという意味ではなく
冷静さが情熱をうわまっているという意味でもなく
感情も判断もどちらも自分のなかからきているから、
ひっくるめて
自分を大切にしてあげたい、という思い。

彼の気持ちも汲んであげれる自分でいたい、という思い。


私たちが下したさよならは、
理性が終結した結論のようでありながら
あまり論理的な説明がつけられないものだった。

けれど、人は決めたことを胸に進んでいく。



---------------------------------


P.S. 早く彼女の素敵な笑顔が見たいです。
    本当に、すごく素敵な笑顔をする人だから。
by Tomoko_Ota | 2008-12-19 01:45 | ■大田朋子